箏と琴
かつては絃楽器を総称して「こと」と呼んでおり、「箏(そう)のこと」、「琴(きん)のこと」と区別されていました。
「箏」と「琴」は別の楽器です。「箏」が13本の絃を可動の柱(じ)で調律するのに対し、「琴」は柱を用いず、音の調節は絃を押さえて行います。(一絃琴・二絃琴など)平安時代以降、琴はほとんど演奏されなくなりますが、当初、常用漢字に「箏」の字が含まれていなかったことから、「琴」と書かれる事が多いですが、現在「おこと」というと「箏(そう)のこと」を差し、「箏」の字を使い、その音楽を「箏曲(そうきょく)」と読んでいます。
箏の歴史
箏がわが国に伝わったのは、奈良時代のことです。遣唐使によって様々な文化が唐より伝えられましたが、その中に「雅楽」があり、箏はその構成楽器の一つでした。その後、箏は雅楽から離れ、「催馬楽」や「朗詠」といった歌の伴奏楽器として用いられるようになり、『源氏物語絵巻』にも見られるように当時の貴族社会に広まっていきました。
室町時代になると、箏は雅楽の箏、つまり「楽箏」から離れて使用されるようになり、九州・筑紫の善導寺の僧・賢順が「筑紫箏」をはじめました。
江戸時代に入り、当時三味線の名手と言われていた八橋検校(1614~85)が賢順の弟子の法水から初めて筑紫箏を学びます。八橋は筑紫箏の楽曲には満足が得られず、自ら曲に手を加えたり、それまでにはなかった半音を調絃の中に入れて平調子(ひらぢょうし)という調子を考案しました。また「六段の調」をはじめとした段物、「八橋十三組」と呼ばれる組歌をつくり、自分の作品を盲人や一般の人達にも広め、以降その流れが今日にまで続いていることから、箏曲の始祖と言われています。
八橋検校没後は、弟子の北島検校がその流れを伝え、さらにその弟子である生田検校が当時庶民の間で流行していた三味線と合奏することを始め、「生田流」を名乗ります。
関西では生田検校が生田流を、後に江戸において山田検校が山田流をおこし、現在にまで伝えられています。
爪の形と座り方
生田流では角型の爪、山田流では丸型の爪を使用します。右手の親指・人さし指・中指に爪をはめて演奏します。座り方はその爪の形の違いから、生田流が楽器に対して左斜め45度に座るのに対し、山田流は正面に座ります。それぞれのお爪が一番いい音を出せるように考えられた姿勢です。
基本的には正座をして演奏(座奏)しますが、箏を専用の台(立奏台)に置き椅子に座って演奏(立奏)もします。
調絃について
箏には13本の絃を張ります。本来絹糸を使っていましたが、耐久性と希少性から現在9割はテトロン糸を使用します。しかし最近、音色の良さと切れにくさの追求により絹糸の良さが見直されつつあります。絃の下に箏柱(ことじ)を置き、その位置によって音の高さを合わせます(調絃)。13本の絃の音がどういう配列になるかを示したものを『調子』と呼びます。日本古来の伝統的な五音音階が基本となっています。
最も基本的に使われる調子『平調子』(ひらぢょうし)
基音の一の絃はDとは限らず、G、A、Cなど曲により指定があります。古典では同じ曲でも演奏者の唄う声の高さに合わせて他の音で演奏される事もあります。基音が変わっても各絃同士の音の間隔は同じです。調子には平調子・雲井調子・中空調子・古今調子・乃木調子・楽調子などがあります。
箏の造り
箏は桐の木で造られます。長さ約180cm・幅約25cm、中は空洞になっていて、裏板には音穴が2つ空いています。装飾は主に紅木を用いますが、高価なものには象牙を使用します。
本体・・・桐
装飾・・・象牙・紅木・紫檀・花林
箏糸・・・テトロン糸・絹糸
箏柱・・・象牙・プラスティック
箏爪・・・象牙+爪輪(猫皮)
箏の本体の造りには、上甲(お稽古用)とクリ甲(演奏会用)の2種類があります。上甲は桐材の二番甲を使い、甲と磯は一枚板ですが磯の厚みが少なく、裏板との継ぎ目が磯に現れます。クリ甲は桐材の一番甲(皮に近い方・木目が華やかになる)を使い、甲と裏板との継ぎ目がちょうど角にきて、1本の木をクリ抜いて造った様に見える事からクリ甲と呼びます。一番甲は木目の数が多く華やかなので、音色に深みが出ます。またクリ甲には甲の内側に『綾杉彫り』という彫りが施されていて、音の反響効果があります。さらに音色が良くなる所以です。職人がノミで1本1本丁寧に彫っていきます。箏は綾杉彫りだけでなく、職人の細かい手仕事によって生まれていきます。装飾に関しては、いい木にはよりいい仕事をする、これほどの木にはこれだけ手の込んだ仕事をする、という職人の腕の見せ所でもあるのです。木目には細かいもの、個性的なもの、柾目や玉もくもあります。木としての価値が上がり、値段も高くなっていきますが、音色が豊かになり、2つとして同じものはありません。お気に入りのお箏を是非お使いください。